礼拝
森崇
常盤台バプテスト教会 2023.9.10 主日礼拝 信仰の礎⑧「日曜日の礼拝は欠かせませんか?」森崇牧師【ヨハネによる福音書4章21~26節】(新共同訳 新約P.169)
- 音声メッセージ
礼拝終了後掲載いたします。通信料が心配な方はこちらからご視聴ください。- 礼拝プログラム
- 前奏
招詞 イザヤ書60章1~2節 司式者
祈祷 司式者
賛美 こどもさんびか3番「うれしいあさよ」
献金感謝 司式者
聖書 ヨハネによる福音書4章21~26節
特別賛美 「イエスさまがいちばん」
宣教 信仰の礎⑧「日曜日の礼拝は欠かせませんか?」森崇牧師
祈祷
賛美 こともさんびか118番「イェスさまがきょうかいを」
頌栄 新生33番「輝け主の栄光」
祝祷
後奏 - 宣教概要
- 9月は教会学校月間です。第一礼拝では幼稚科・小学科・中高科と共に合同礼拝を主に捧げています。本日は「主の日」についてです。8.主の日 我らは一週の初の日(日曜日)を主の日として基督の復活を記念し、この日を宗教的目的のため又各個の魂のために聖く守るべきものなることを信ずる。
カレンダーによっては仕事の始まる月曜日を週の初めとするものもありますが、日曜日を週の初めとするものをキリスト者は大切にしています。旧約聖書の天地創造は日曜日から始まります。創造主は六日かけて天地を創造され、七日目に仕事を離れ、聖別して安息なされました。神の民と神を結ぶ「十戒」には「安息日を覚えてこれを聖別せよ」(出エジ20:8-11)とあります。神の働きと休息を覚え、神と交流し休まるという目的のためにユダヤ教では土曜を安息日としています。
第一の創造の日である日曜日は神の「光あれ」という言葉によって混沌からの光がもたらされました(創1章)。創造の始まりが日曜日です。しかし、これは単なる時間的区分ではなく、人間を生かす根本的な希望の光を指します(第四の日に時節的区分となる太陽、月、星が創造されます)。
キリスト者は日曜日を主の日として尊びます。それは日曜日がイエスの復活された日だからです。「主」とは復活によって神の子と定められたイエスのことです(ローマ1:4)。主イエスはわたしたちのために十字架で死なれましたが、この方の生涯を神が祝福し、全肯定するために、イエスを復活させたのです。主イエス様により示されたこの復活の命は、私たちの希望の光です。日曜日に礼拝を捧げるとは第一に、「主=イエス・キリストこそ光である」との信仰を言い表す行為です。日曜日、私たちが教会に集い、礼拝を捧げるのは、復活の新しい命に共に与かるためなのです。
聖書では人目を避けて差別と抑圧の中で生きたサマリアの女が主イエスと出会ったとき、この人生が”渇き”ではなく“満たし”を願って「永遠の命に至る水を下さい」と願います。女性はこの人こそ生ける水を与える主と理解し、またそのために礼拝する場所について問います。するとイエス様は「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理とをもって父を礼拝する時が来る…父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ」と答えられました。礼拝は場所やプログラムではなく、礼拝者のこころそのものが求められ、霊と真理こそまことの礼拝に必要であることを指し示されました。
パウロはこの礼拝する者のこころとして神の憐れみ、すなわちイエス・キリストによって示された生き方としての礼拝を、次の様に述べました。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です」(ローマ12:1-2)
新約聖書以後の礼拝はキリストがなされてきたパン裂き/賛美/聖書の朗読/祈りが主流でしたが、イエス様やパウロは礼拝の本質として、私たち自身の人生が神に捧げられた喜びの礼拝であることを求めています。それは、日曜日という主の日だけではなく、わたし自身が常に主の日を覚えて生きるという生き方へとつながっていくものです。そして、この主の日を覚え続ける、ということは、主イエス・キリストが再び再臨される主の日を覚えつつ、なされていく試みです。主は昔いまし、今いまし、やがて来たり給う方である、このことを覚えて常に希望をもって歩むために、私たちは主の日に礼拝し続けるのです。